Air Accord 卒業生
宮田 明

宮田さんは火薬から医療品までを扱う日本大手会社から派遣された当地責任者。
初めてお越し頂いた折り「2ヶ月前に来たばかりで、未だこちらには中々慣れなくって、当分は単身赴任なんです。日本ではパラグライダーに乗っていたので飛行機にも興味があって〜」との仰せに、飛行機の質問にお答えしつつパラグライダーの話を聞かせて貰って、初顔合わせも旧知の仲の如く2人で時間も忘れ飛行談義に盛り上がってしまった。
その後、数週間を経て体験飛行に来られCー152への初搭乗では「先日の飛行談義をそのまま実践」、機内でもガソリンが続く限り盛り上がってしまった。
最初の2〜3時間は緊張を解きほぐすのに集中して教習を行うのが常だが、のっけから外界に対する計器の見方も上手く、操縦桿の握り方もソフトタッチ。
握り締めるのは奥様とお子さん達の手だけなのであろう(笑)、ベーシックファンダメンタルズはパラグライダー経験が十分活かされおり、バランスが崩れれば危険極まりない乗り物であろう、聞きしに勝るパイロットである事が伝わって来る。「翼が萎まないので安心感があります。ストールももっと激しいものかと想像していたのですが、以外とスムーズに回復出来るんですね。」と聞くや、盛り上がる実地訓練を先延ばしして講習可能な週末は専ら座学に集中して頂くも、軒並みステージ1から2へ突破し、年末休暇もドップリと飛行機に漬かって貰った。離着陸だけの単独を2回繰り返して頂くや、続いて単独によるマニューバー2レッスンを何と一纏めにして敢行した強者パイロット、3度目単独をホブスメター3.2は珍最長記録。雨期も明けた春先、クロスカントリーナビゲーションでは「少し躓くか」との心配も他所に、チャートそのものが頭にコピーされているのか地上目標を見つけるのが上手く、チェックポイント毎の距離を予測スピードで割り出した時間的な感覚も抜群で、目的地を変更しようがドンピシャ。
夏期に入り、学科試験も受験され実地試験準備も整った所で一気に免許取得かと思いきや、「頭だけで理解している所も多々あり、最終段階を一気に纏めてしまうより、体で自然と出来る様になるまで修得したい。」とのDecision Makingは卒業生を鏡とする当校訓練生の特徴である。夏休みに入り子供さん達の転校手続も済ませ、気丈な奥様の采配で引っ越し段取りも難なく整ったとの報も届き、宮田ファミリーのカリフォルニア・アドベンチャーが始まった。ファミリーの皆さんが当地での生活にも慣れて来られた9月、最終段階への訓練を再開するも気力十分に知識面と技量面のタッチも上々。単身赴任時は色々と御不自由なされたんだ〜、と勝手に想像しています。

Enrollment: November 20, 2011
First Solo: March 11, 2012
Private Pilot Certification: September 30, 2012


野口 武彦

23才の時にJCAB教育証明を最年少で取得。日本産業航空界で目覚ましい活躍を担っている航空学園卒業生の一人であり、現在は理事として母校へ御奉公。北九州に猛者が集う中で揉まれ教習経験を積むも、その後は実業家としても頭角を現し「世直し武さん」と呼ばれ業界で名を馳せる航空界の異端児。野口氏とは日米合作卒業生を航空界へ送り出す事10余年を数え、御自身のCJ2機種証明取得準備にお越し戴いて久しく御縁が厚くなった。機種証明取得にはFAA計器飛行証明学科試験合格通知が必要との事に座学を受け持つ事になったものの、座学だけでは内容が身に付かないので、FAA流計器飛行を実地で経験したいとの御希望が当校での初フライトに駆り立てた切っ掛だった。宛ら、一旦飛び立つと帰港午前様は常時で偶然遭遇した学園の後輩(若手教官島田)とロサンジェルス界隈を飛脚し目映い夜景を他所に専らアプローチ、アルタネートはラスベガスまで足を伸ばし、ジャックポットを射止めて帰還。日本ではボナンザとバロンで駆け回るも、当校単発訓練機はシエッラ、双発はセネカ1である。どちらも難癖があり、マニアックな機体と御指摘を受けるも、難度を極める5段階ステップダウンを有するKMRYローカライザーアプローチRWY28Lをプロファイルデセントを用いてピンポイント(GSが決まらないと出来ない技)。それを見せられて以来、忍者と呼ばせて戴く。2010年2月に名古屋を拠点として地元有志の方と航空会社を設立されるや、ビジネス展開に幾種もの機種証明取得が必要不可欠と、其の年8月の御帰還ではC-680機種証明取得への準備訓練としてパイロット免許では最高峰のATP-MELにセネカを駆ってチャレンジ。誰もが1年以上を要して走破する分厚いATP学科試験プレップを1ヶ月も要さず独学走破し、当地ゴールデン北コースをDeviation within one dotのスムーズな飛行術は忍者部隊月光であった。勿論、C−680機種証明も一発合格ながら、実地試験を振返って「C−680という怪物級悍馬を乗りこなすのに、ATPを取得しておいて良かった」が朗報を頂戴した時の第一声であった。

その後2年、此夏は水産航空6代目社長 www.suisanair.co.jp(その他、数社の責任者を兼任)と成って御帰還では視察出張とATP-SEL&SES取得が目的。ジェットの運航が続き、単発プロップ機の操縦は2年振り。カールスバッドへ出張を兼ねたフライトを手始めにシエッラを駆って敢行。勿論、ナビ練習のみならず日本とアメリカの航空法規の違いやプロセジュアーの相違を考査する勉強会の題材としてロサンジェルス界隈の空港を隈無くアプローチ。帰港するや離着陸とエマジェンシープロセジュアーを万遍なく繰り返し、余念がない。数少ないFAA-ATP-SELの保持者は日本人では私達2人だけではなかろうか。そして、クライマックスは未だ続く。シープレーン訓練はサンフランシスコを跨いだサウサリート市に所在するシープレーンアドベンチャー社(www.seaplane.com)で敢行。初日の午前8時集合では30分程のブリーフィングが行われただけで実機訓練へと突入。オブザーバーの私も拍子抜けしたもののブリーフィング内容はノーマル離着陸、ラフウオター離着陸、グラッシーウオター着陸、スロー及びハイスピードセイリングの5項目。視界は3マイル程度でシーリングは500フィート満たない所をテクオフしサクラメントリバー沿いを300フィート余りで航行しサンタローザ支流を使って離着陸訓練。陸上機では考えられない飛行高度に驚きつつも、効率良く技量を引き出す訓練行程に教官の技量がビリビリ伝わって来る。通常、ブリーフィングで行った内容を総て基準通りにこなせば「教習は成功を収めた」と評価出来、其所へ次の教習で行うマニュバーデモ又は其れを機内で説明し実地出来れば「教習は大成功」である。此の日の教習は野口氏にとって初の水上飛行ながら5項目を寸也クリアーした上にエマジェンシーランディングも加えられたが2回共に完璧な指定点着陸、熱い厚〜い教習であった。寄港にはベイブリッジとゴールデンゲートブリッジが目前に迫り、目線で其れ等の景観を楽しんだのは此の度が初めてだった。

当校で此れ以上の訓練は施せませんが、機種証明取得へのお手伝い並びに日米の相違を隈無く考査する勉強会は引き続いて行いたく次回の御帰還を楽しみにしている次第です。

Enrollment: June 28, 2010
ATP Certificate MEL: July 4, 2010
Enrollment: August 14,2012
ATP Certificate SEL: August 21, 2012
Enrollment: August 22, 2012
Commercial SES: August 24, 2012


MAYANK YADAV
Enrollment: January 4,2012
Commercial Pilot add-on MEL: January 11, 2012

重本 泰

グライダーパイロットの重本さんは歴史あるグライダークラブを理事として運営、所有されているモターグライダーへの移行を果たす為、分割渡米で入学。9日間滞在を4回繰り返してもらって、実質滞在期間36日にての自家用取得は驚くべき早業。「美味しい内容をスキップされて最短を図った?」さに非ず、技量面ではグライダーと飛行機の操作性の違いを誰にでも判り易く解ける境地に立たれ、知識面も細部に渡って隈無く追求、ナビの技量では教官を吃驚させた強者パイロット。御本人曰く「エンジンが付いているので、何処へでも安心して行けますよね?」ですって。エンジン装備のないグライダーで何処までクロカンを敢行したんですか?とは私達の疑問、いや〜愚問でした。日本へ帰国した折りは長野へ出向きますので、愛機へ搭乗させて下さいね。

Enrollment: September 17, 2010
First Solo: February 12, 2011
Private Pilot Certificate: September 2, 2011


松浦 朋浩

朋君は航空管制官を目指すも英語が大きなネックであった。「英語の勉強には飛行機の免許取得が一番手っ取り早い」と言う叔父の勧めで、と言った当の叔父は「一緒に連れて行ってくれれば良いのにサンノゼで待って居るから」と先に旅立ってしまった。日本を出国したのも初めてであれば外国へ足を踏み入れたのも初めてである。機内へ入った途端、其所はもう外国であった。「後悔と不安が募り」一睡も出来ずに入国審査出口を出ると叔父が出迎えてくれてホッとした。アメリカで操縦訓練を受けると言う事がどんなものなのか皆目検討もつかず、「叔父に任せておけばどうにかなるだろう」と最初は総て叔父任せであった。肩を抱き合うや、観光にでも連れて行ってくれるのかと思いきや、のっけから学校へ直行である。学校ではスポーツ刈りした厳めしい校長が「良く来たね〜」と言って握手を求めて来たが、そんな習慣に慣れてないので、戸惑ってお辞儀をした。叔父は惻々と飛行機の鍵を持ち出し、戸惑っている私に、翼の付け根部分を動かして機械の仕組みやタイヤ部分の説明を始め出したが、頭の中はグルグル回り立っているのも辛くなった。トイレへ駆け込むと吐き気と冷や汗がドット吹き出し、母親の顔が目に浮かんで涙が出て来た。翌日も翌々日も足が宙に浮いている様で、座学を受講していると叔父の声が念仏に聞こえて来た。4日目で耐えきれなくなり、叔父にギブアップを宣言したが無視された。お昼時、ランチルームで校長と2人で昼食を採った。何か話さなければと思いつつ、年毎に区分けして飾られている卒業生の写真を眺めていると、校長が「各々目的は違っても飛行機を題材にして、大学入試を勝ち取った者、駐在員の方々では直接ではないにしても間接的に仕事へ活かされている方々、基礎を此所で学びプロパイロットとして重責を担っている者。単独飛行を第一スッテプに自家用免許を取得した時の達成感はやり遂げた者でしか判らないし、パイロット同士でしか其の喜びを分かち合う事も出来ないんだよ。他人事で飛行機を操縦していると必ず何処かで事故に遇う、座学で理解した事を実地で適用し技術的な所は確り身に刷り込むんだよ」と話してくれた。「実行します。」と即座に約束しなければと気持ちが高ぶった。其れからの1ヶ月はあっという間であった。今までにこんなに集中して勉強した事があるだろうか、他人事ではなく誰の手助けも届かない単独飛行も許され、叔父の手から解き放たれた開放感に酔っていたのも束の間、他の空港での離着陸やナビゲーションでは心の中まで抉る様に頭の先から足の先まで叱責の連打を放たれ「叔父は鬼か」と悲しくなって人前で泣いてしまった。「何で其所までやるの?」と疑問を持った所へ、校長から叔父の過ごした3週間の話を聞いて、吃驚と感動で体が震え、免許取得を目指して一気にやり抜いた。
朋君も叔父の血を引くガッツマン、2ヶ月半の合宿は戸惑いからのスタートであったが優秀な成績を修めて自信を獲得、応援してくれた御両親と叔父に感謝を忘れるな。私達に見せてくれた頑張りを活かしてゴールを目指せ〜、朗報を楽しみに待って居る。

Enrollment: February 3, 2011
First Solo: March 4, 2011
Private Pilot Certificate: April 22, 2011


畑中 一志

畑中氏はコンピュターハードウエアーのエンジニアー、機械に精通し一頃は東海岸デラウエアーで教官の資格を取得し、 開校2年余りを経た90年12月より翌年夏にかけて当校で半年間を教官として教習業務を担ってくれた古参パイロット。 日本から20年振りの連絡を受け「航空管制官を目指して居る甥っ子に英語の自信をつけてやりたく、手っ取り早いのは自家用免許取得だと思うので帰還する。」との御意向。当初は甥っ子さんへ私達が教習を行い、畑中氏が座学でバックアップする計画だったが、畑中氏が専任教官と成って甥っ子さんをパイロットに育て上げた。 熱い教習は「甥っ子さん編」で語らせて頂くとして、先ずは畑中氏。操縦20年間のブランク+教官資格は2年毎に書き換えが必要であり、書き換え出来なかった場合は失効し、再発行には再試験に合格しなければならない。FAR、コースプランニング、レッスンプラン作成等、マニュバーひとつにしてもパイロットであれば規定通りに操作出来れば良いのだが、教官の場合は教習を行うのであるから各マニュバーにしても「目的、規定、基準」を把握し、各レッスンも「イントロ、デベロップメント、アセスメント」と区分してプラン作成が出来るかを試されるので、復習科目は膨大な量となる。20年振りの御帰還に空港へは「私が迎えに行く」と言ったが故か、サンフランへの直行便を避け態々ロサンジェルスを回って、迎えが容易となるサンノゼ空港着にしてしまう気遣症だ。また、会話の中にも細やかな気配りがあり、性格は精密機械宛らである。それだけに、復習科目では上手く噛み合えば高効率を期待出来るが、悪く噛み合えば気性からも妥協を許さないので進展は「拘りスピード」となる。其れが何と緻密さを武器に「20年のブランクを乗り越えた上に教育証明リインステイトを3週間でやり遂げた」、昔の彼を思い出しながらのヤキモキは全く不要、追っかけやって来た甥っ子さんの登場は「準備万端整った」その翌日であった。

Enrollment: January 18, 2011
CFI Reinstate: February 2, 2011


笠原 英二

笠原さんは日本を代表する電機メーカーのエンジニアー。在住経験も長く、テキサス州オースチンより古巣のベイエリアへ単身赴任。 御家族が住まれているオースチンへ自家用機で帰宅するのを目標に自家用パイロットコースへ入学。 専ら訓練は週末が中心で持ち前の英語力で単独飛行もスイスイ〜、学科試験では平均点アップに大きく貢献して頂いた。 ロングX-Cも超ロングを敢行し、トントン拍子で最終到達かと思いきや、トラッフィクパターンで3次元の難解さに絆される。 免許取得時には「エアースピードのコントロールさえ押さえれば高度のコントロールは容易に扱える。」との仰せ、3次元のコントロールを克服されましたね。 さて、目標はと言うと御家族もこちらへ引っ越して来られたので、何処へ行きましょうかね笠原機長?

Enrollment: May 17, 2009
First Solo: October 11, 2009
Private Pilot Certificate: August 14, 2010


宮 典文

既に卒業生欄及び体験談へ登場は皆さん御存知、現代文明の利器を駆使して腕と知識を高めた企画班長の登場。事業用多発を終えた2004年7月「3年間帰国し、授業料を稼いで帰って来ます。」と言って、丁度3年後の2007年7月、教育証明=CFI取得目的に帰還。計画性に基づき気概に富んだ約束に違わぬ帰還は当校の光である。君のお父様は私の先輩であり、桃稜健児と唱い、君は私の後輩仲でもある。しかし、アメリカで光輝いて貰う術を校長は持ち合わせなかったし、「事業主とて最低である」と君にこき下ろされてしまった。反省する所然りであるが、教育事業としてのフライトスクールに事業主として教習出来ない多難さが有る。お互い体が悲鳴を上げる無理は簡単に出来ても、互いに嘘偽りを冒さなかった事が何よりの善と信じて止まない。君の気概は君を大きく伸ばし、今後も文明の利器を駆使し気概を持って高所へ飛躍を計って欲しい。そんな君の帰還を心待ちにしている。

Re-Enrollment: July 10,2007
CFI Certificate: March 20,2009


寺内 暁子
自家用免許持参で計器飛行証明と多発限定取得目的を持って当校へ入校。学生時代は法律専門課程を収めプロを目指す学士パイロット。将又、野球部では活躍も目覚ましくキャプテンを務め、卒業後も仕事の合間は専ら監督を兼務した体育会系、周りから頼られる人。進路決定では少ない飛行経験から、自家用マニューバーレビューと其の応用訓練から開始しする事業用コースを勧め、5のステージから構成されたコースは計器飛行証明取得も含まれている。入学早々ハキハキとした物言いや態度に、皆から「監督」と呼ばれ親しまれる。宛ら、事業用応用訓練では基礎を固めてはステップbyステップ。スピードコントロールでは人一倍の苦労と苦心を重ね、コンプレックス装備のシエッラへのステップアップとクロスカントリーで構成されたスージ2へ入った頃から、自前の粘りと集中力が光ってロングクロスカントリーはラスベガスからグランドキャニオンを制覇。其の間、監督を慕って日本より訪れる後輩達は惟連れも美人揃いに、何人の訓練生が熱を上げた事か知れません。また、困った事や悩める友達へは励ましに一気に太平洋を越える事も厭わず、采配の為にフル活用する暁子さんの携帯電話はE-6Bに勝るとも劣らない必需品でした。計器課程では難解を極めたフーエルリクワイアーメントやアルタネートウェザーミニマムも、多発計器最終試験で見せてくれた覇者の笑顔が強く印象に残っています。航空界を取り巻く時勢は厳しく予断を許せませんが、貴方の優しさをバックボーンとした信念を持ってすれば、如何なる困難も切り抜けられる。目的へ驀進。朗報を心待ちにしています。

Enrollment: April 24, 2006
Instrument Rating: September 9, 2008
Commercial Pilot: February 11, 2009
Multiengine Rating: March 16, 2009

山庄 敦
山庄さんは日本の国防を担う幹部官。衣山さんや江畑さんと同期で1998年12月に自家用パイロット免許を取得。早、10年以上に成るお付き合い、有難うございます。当時はHPも無く、此の度計器飛行証明を取得して頂いて初登場。
訓練は専らお盆休暇やお正月休暇を利用して頂いての短期集中。自家用を取得されるや訓練機であったC-152からサンダーナへの移行訓練も終了。帰国早々免許の書き換えも済ませて、勤務地近くの飛行クラブに入会し休日は専ら当時日本で唯一と言われたサンダーナを操縦。仕事柄移動が多く、沖縄勤務では御実家への帰省時間を叩いてチェックアウトを完了させたパイパーチェロキーを駆って与論島や奄美大島等へ空から島巡り。エリート中のエリートで飛行機が好きで堪らない者でしか成し得ない特権を獲得され、子供の頃からの夢を自ら実現。
翌年8月お盆休暇を利用されての御帰還より計器飛行にチャレンジ。奥様と御帰還頂いた一昨年を含めて20回の渡米を果たして頂きました。渡米毎に日本の物を持って来て頂く、御帰国毎に宅配を依頼するも快く引き受けて頂いて、東京で開催された卒業生の集いでは著吊な方々を招いての講演を取り仕切って頂いたりと、飛行機が作ってくれた山庄さんとの御縁に感謝しています。目的を全うされるのに一部の力も惜しまずどんな山谷も乗り切られる山庄さん、次ぎ成るは奥様とお二人で築かれた夢を実現して下さい。

Enrollment: December 23, 1996
First Solo: May 2, 1997
Private Pilot Certificate: December 24, 1998
Instrument Rating: September 7, 2008

N. Takashima
高島さんは日本の光学会社から営業活動を主体に派遣された当地責任者(別吊:切り込み隊長)。製作技術を駆使した製品は医学からコンピュターマイクロチップ等の検査鏡として幅広く使われ、多方面の分野から要望されるも其の道のエキスパートとのコミュニケーションが重要なお役目。
「お客さんがロサンジェルス近郊に3社在って、何所も主要空港から遠くて車を飛ばして行くんですが、サクラメントやカーソンシティーへも月に一度は行くんで走行距離は誰にも負けませんが、ドライブが大変なんです。パイロット免許を取って自家用機で行けないもんですかね。」と駐在員の方では唯一実用目的で訓練を開始。広大なブラジルで生まれ育ち高等教育を日本で受けられた堪能な語学力、合気道で鍛えた柔軟な立ち居振る舞い。緻密な要望に対応する為、エンジニア宛ら日夜を問わず研究される努力の人。
多忙なスケジュールを縫って「自家用パイロット免許をトントン拍子で取得。」と書けばスーパーマン。先のお二方同様に高島さんもヒューマンで在りました。長期出張から戻るや訓練に駆け付けて貰うも、分厚いFAR/AIMを前に「皆さん其所までやるんですか?」と何度目が点になられた事でしょう。また、進んでは戻り、戻っては進んでを何度繰り返して頂いた事でしょう。
その度毎ソロフライトを欠かさなかった実践派高島さんは実地試験が終了しても免許を手に「明日から出張なんで今から飛んで来ます〜」とやっぱりソロに出られましたが、やっと実用して頂く事が出来ますね。高島機にスタッフと訓練生が搭乗者となるべく早くも列を成して居ります。

Enrollment: August 20, 2006
First Solo: June 9, 2007
Private Pilot Certificate: September 1, 2008

大野 正太郎
大野さんは大手電気会社の世界が注目する管理ソフトウェアのエンジニアとして2004年4月当地に赴任。栄転帰国された当地責任者長堀さんの後任を務めマネージメントに転向。引き継ぎも落ち着かれた昨年1月に入校。それまで週末は唯一の憩いであったゴルフも控えて頂いて専らフライトトレーニング。
順調な滑り出しもゴールデンウィークや夏のピークを迎えた週末は賑やかさも増し周りの盛り上がりを他所に、専任若手教官ロブの大学卒業試験で週末スケジュールの取得もままならない所へ、早期にやってきた着陸でのスランプ。航空身体検査も受けてソロフライトに備えるもフライト毎に雨が降るか晴れてもCATに絆され、平日早朝訓練を敢行してスランプを脱出された努力の人。
何時も飛行プランは緻密で、教科書やFAR/AIMには至る所に下線が引かれ手書きの解説がビッシリと日英両語で施され、学科試験は勿論の如く100%の満点合格。クロスカントリーに入るやメキメキ技量にも磨きがかかり、ありとあらゆる気象条件下を交い潜って来られた方だけに、ソロフライトに出られるも事業用訓練生を見送る安心感を教官に持たせてくれました。実地試験も谷川さんの翌日に緊張も高まって当然の所、落ち着いたもので口頭質問を受けている試験ルームから笑い声が聞こえ、ワンツーフィニッシュを決めてくれました。さすれば皆さんも御存じ、お二人を囲んでの祝賀会へ繰り出すも、当のお二人が首謀主催。有難うございました。
特記:あの盛り上がりは何所からだったんでしょう?真面目な硬いイメージで通って居られた大野さん、今後は宴会部長と呼ばせて頂きます。

Enrollment: January 14, 2007
First Solo: July 14, 2007
Private Pilot Certificate: May 18, 2008
インタビューへ

谷川 敏郎
谷川さんは日本を代表する音響機器メーカーの当地責任者。精密機器製造で蓄積されたノウハウを次世代映像から半導体機器に至るあらゆる分野に活かして事業拡張される中、ヨーロッパ駐在を経て昨年当地に重責を担って着任。バックグランドは電子工学、学生時代は運送会社でのアルバイトではトラックの運転もこなされ、趣味は硬い絆で結ばれたクルーと湘南にヨットを所有し大海原を駆るベテランパイロット。
赴任間もなく、べイエリアにも無数にあるヨットハーバーを横目に青空を見上げると軽飛行機が爽快に舞っている。「どんなふうに操縦しているんだろう?」との探究心から体験飛行に御来校。簡単な説明のみで上空1000メートルへ上昇旋回。初操縦された緊張も他所にランチルームに飾った卒業生300余吊の写真を丁寧に一人ずつ眺めて頂いたのがとても印象深く、「免許なんて取れるもんなんですか?」との御質問を持って入学。専ら訓練は海外出張と重ならなかった週末の土曜日(早朝テニスで汗を流した)午後からと日曜日。遠方に目標を定めたディレクションコントロールはお手の物、計器の読みも早く、ベーシックファンダメンタルズからマニュバーに入ってもリラティブウンドを体で感じてられるのか持ち前の舵取り上手と相まってレッスンはトントン拍子。勿論、文明の利器も確りと活用され、GPSを機内に持ち込み読み込んだ飛行形跡からグランドリファレンスやパイロテージの研究に余念がなく、品切れしていたボイスレコーダージャックは他の訓練生の分まで自作&手製で補って頂きました。
3次元の飛行機を探究心と経営マネージメントで乗りこなし、開拓者精神旺盛なスポーツマン。同乗59時間+単独25時間、訓練期間10ヶ月は駐在員訓練生の最短記録で「免許とれるんですね。」と御解答頂きました。また、当校のモットーを心より賛同して下さったばかりか、私達の絆も硬く舫結び頂いて有難うございます。顔触れからも結びの強さはシートです。

Enrollment: July 21, 2007
First Solo: October 7, 2007
Private Pilot Certificate: May 17, 2008
インタビューへ

四方 雄大
航空学園を卒業し、本田航空乗員養成コースに所属し初ソロを敢行。2005年10月16日、事業用多発取得目的で当校へ編入。「家族的な雰囲気で、安全の確保は知識から」をモットーにするも、柔らかく優しい性格は他の訓練生はもとより教官スタッフ、ステイ先のファミリーのみならず、家の二人の子供と友達(其の数25吊)、更には子供の親御さん達からも親しまれ、四方ファミリー秘宝の特製ギョウザを恒例元旦祝賀に作ってくれてより「ギョウザ兄ちゃん」と呼ばれる。専任を務めた島田教官は偶然にも学園の先輩、嫌いな学科はIA佐野教官から特訓。雨期に入るも日本で鍛えられたソフトフィールドランディングが光り、難なく自家用を取得。初搭乗者は学園大先輩の野口機長(JCAB教官)という奇遇を得て、お褒めと励ましの言葉を胸に刻む。続くは陣中見舞いに来られた御両親を乗せてヨセミテ渓谷観光フライト。ログに記載した以上2行のPICは金字で認める重たい経験である。
事業用/計器訓練も順調な滑り出しに見えたのも束の間、佐野教官の帰国に始まり、活気に満ちた夏期講習生の帰国、島田教官の帰国、先輩訓練生の帰国ラッシュが続き寒散となった教室で校長とサシの訓練が開始され、ホームシックと闘いつつ2転3転したコース変更を経て要した訓練期間は人一倍乍ら、語り尽くせない数々の経験を積んで当初の目的を何れも抜群の成績で取得。
必要以上の試練を強いた所は此の場をお借りして、御容赦下さい。「磨けば光る」のたとえ通り、素直な吸収力は目を見張る所があり、ついつい熱が入り過ぎましたが、大事な所は総て教習済みです。
インターカムから響く超低音の濁声から解放されしも、中野先輩との計器合同訓練で見せてくれた伸びを此れからも大事にして将来へ活かして欲しい。周りの皆から親しまれ、自分の事を放って置いても仲間の事が放って置けない質。そんな四方君を誰も忘れません。早く「ギョウザ兄ちゃん」から「四方機長」と呼ばせてくれ、甥っ子よ!!

Enrollment: October 16, 2005
First Solo: October 29, 2005
Private Pilot Certificate: February 23, 2006
Commercial Pilot Certificate: November 21, 2006
Instrument Rating: September 14, 2007
Multi-Engine Rating: October 30, 2007

堀川 賢治
当地レストラン業界では腕前は勿論、苦労人としても有吊。共通の知人でもある平山先生(拳師)からの紹介が御縁。若い頃から大阪の料亭で板前を目指し丁稚奉公。下積みを重ねた勤め先が事業拡張の為テキサス州ダラスに支店を出す折、腕を見込まれ79年5月に渡米。「来てみると平地で吃驚し、店の構築から始めましたよ。」とは入学された2001年8月21日のお話。「私は日曜日しか休みがないので、受講出来るのは週一回だけなんですが、大丈夫でしょうか。」との御質問に「問題は在りませんが、期間は長くかかりますよ。」と何時もの返答。貴重な週一休みは御事情もあって、受講出来るのは半日が限度。頑張って頂いて初単独飛行を敢行するも、既に1年が経過。後半は単独飛行も交え準備して頂く項目は増える一方で、減る事は無い。フルタイムの訓練生でも頭を痛めるAirspace & VFR Weather Minimums。ソロクロスカントリーにはFAR 61.93 (d) より5項目のリミテーションと (e)から12項目ものマニュバー及びプロシージャーをクリアして貰わなければならない。無責任極まり無く「えらい所へ引っ張り込んだ」との思いが過るも、休校されたのは唯一日本へ帰国された時の日曜日のみ。「何で其所までやるの?」と奥様は勿論、皆さんからとは言いません、誰からも聞かれた事でしょう。
その間、奥様とオリンダ市にレストラン『花善』を新規オープン。一番忙しくなる金曜日と土曜日は帰宅が午前様で登校。時にフライトを外して学科に2ヶ月(日曜日8回)余りを費やして頂くもステップ by ステップ。「メディカルファクターですか、栄養学や衛生学なら得意なんですがね。カバーして頂いたのは1年以上も前になるので、もう一度お願いします。」と進んでは戻り、戻っては進んでを繰り返して貰う事6年余り。数々の記録を塗り替えて頂いた堀川さんのレコード、更新や真似する事は他の誰にも出来ません。
総復習を9月23日に完了し30日に実地試験に挑んで頂くも、口頭試験が終了した時点でタイムアウト。フライトを残し、待つ事3週間。10月21日はライトタービュレンスが予報されるも、皆の見送りを受けてテイクオフしたはずが30分ばかりでリターン。試験官も顔を赤らめたシビアータービュレンスに遭遇。翌週に持ち越た3度目、リラックスムードで免許を取得。持ち前のプロシェフとして培われた気配りと目配りはDecision-Making Process、Choosing Course of Action、Stress Managementに通じ、永い長い道のりを経て操縦桿の上にも塩梅良く練り上げて頂いたExercise of Judgment。奥さんを乗せて雲の合間を縫ってのフライト(ATC:C-858 maintain VFR condition、堀川さん:858 maintain VFR)と流暢な返答で雲からの距離を規定通り維持しながらナビゲーション。卒業生皆さんも御存じの堀川さん、実際のエピソードを交えて紹介させて頂きました。

Enrollment: August 12, 2001
First Solo: August 4, 2002
First Solo X-C: April 26, 2004
Private Pilot Certificate: October 28, 2007


中野 祐一
航空学園を卒業し、体当たり渡米しチャレンジした自家用パイロットを英語で断念。やり通せなかった悔しさをバネにオースラリアで事業用免許単発/双発を2003年5月一気に取得するも、操縦操作と同調しない英語のハンディーを痛感。同年9月に単身オクラホマへ留学して一般教養課程を2年で終了し、メイン州の大学に移り学士号を取得。その4年間「飛行機を横目で眺めながら、乗る事は無かった。」と御本人から聞いた。それは、将来を他の道に求めた為のものでは無く「計画した期間内に学位を取得しなければ、支援してくれている両親へも申し訳が立たない」が理由であり、克?したハンディーをバネにインターネットで当校を見つけ直接乗り込んで来てくれた行動派、計器飛行証明取得を目的に入学。
「4年間のブランクがあるので上安もありますが、宜しくおねがいしま〜す」との第一声は声に張りが在り、目をみて話す仕草はアメリカ人宛ら。二つのカルチャー、日本の良い所を堅持しつつアメリカの良い所を吸収、きっと将来日米の架け橋と成って活躍してくれるであろう日本男児の意気込みを感じた。免許書き換えの為の慣熟を兼ねた基礎課程も順調にこなし、ナビを使った計器課程は偶然にも学園4年後輩の四方君との合同訓練。正統と異端と言えば語弊ありますが、卒業後は互いに全く違った道を歩んで来て巡り会った二人がお互いを認め合い協調態勢で教習に向かってくれた時、吸収力は垂直上昇、意気も上がって濃厚X2の教習が可能と成りました。アメリカでの目標は計画通り完了、日本への準備も万端。早く「私達を乗り越えた」との朗報を心待ちにしています。目指すは腕に金の3本線、更に重責を担う機長目指して邁進して下さい。

Enrollment: April 26, 1997
Enrollment: November 15, 2006
IFR Rating: September 12, 2007


衣山 昌之
日本を代表するエレクトロニクスカンパニーのエンジニアとして出張は年に8〜10回、多い年は月毎アメリカ中の取引先を回ってサンフランシスコ支店で会議。入社当初、イリノイ州へ派遣留学の経験も在り(修士号取得)、アメリカ界隈/世情に精通。設楽さん(卒業生、93年5月に自家用取得)と東京で知り会ったのが切っ掛けと成って入学して頂いたのが、EメールやWebも無かった1997年4月26日。此処にして校内の卒業写真ボードへ初登場。先ずは、10年来のお付き合い、有難うございます。
訓練は専らゴールデンウイークのみならずお盆お正月休暇は勿論の事、出張毎に週末を挟んで頂いての二日間短期集中。スケジュールは事前にファクスを頂戴し調整万端。御帰還毎に当日フライト出来る唯一の人で在り、帰国当日は早朝パターンを回るタフガイとして有吊。翌年7月、自家用免許を取得されるやCー152からサンダーナに移行のみならずシエラのステップアップも年内に完了し、強者パイロットから猛者と呼ばれる。99年ゴールデンウイーク御帰還の折は1〜2月に雨が少なくスッキリした青空も無い中、シエラを駆って2泊予定でロス方面へフライトを敢行するもバンナイスで延長2日間ウェザーストップ。日程に余裕を持って出発されたのが幸い、寒気団が東に抜けるやコーストルートを選定し辛うじて御帰国前日に帰港。何を云わんや、此のフライトが起爆剤と成って短期生第一号計器飛行証明を取得、続けて多発。その後も止まる事なく、事業用多発にグレードアップされた際には免許を眺めて「単発は自家用に据え置きなのか〜」と第一声。そして此の度、単発も事業用として取得。
数々の武勇伝ならぬ、飛行経歴。現在、教育証明にチャレンジ。当時専任はチーフ鳴沢、学科担当はIA佐野、バックアップは榑林より引き継いだ若手島田、ステージは私達の日本人教官総出で受け持たせて頂き、休暇を利用されての御帰還以外は殆どヨーロッパ回りだったり、東部の仕事を終えるや直行でのお越は常時、「明日は成田から会社へ直行だよ」と言って御帰国も暫し。飛行機を通じた御縁を基に、衣山様から色々な事を沢山教わった事を私達は忘れません。此の場をお借りして、今後共末永く宜しくお願い申し上げます。

Enrollment: April 26, 1997
First Solo: August 12, 1997
Private Pilot Certificate: July 21, 1998
Instrument Rating: May 2, 2000
Multi-Engine Rating: October 7, 2000
Commercial Pilot Certificate MEL: April 29, 2001
Commercial Pilot Certificate SEL: March 22, 2007
Certified Flight Instructor Certificate: ??


大原 祐一
大原さんは若きして独立、起業したガッツマン。96年5月に自家用を3度の短期渡米で取得。集中訓練も「何の其の」、持ち前の洞察力と集中力でメキメキとレッスンをこなし、そのスタイルは典型的マッチョーかと周りの心配及ばず、プランは緻密で確実。機長経験も御帰還毎に積まれ、ゴルフバッグを後部座席にレクリエーションパイロット仲間から強者パイロットと恐れられる。そんな大原氏から、気象変化に富んだ日本の空を「安全に飛ぶ為には」とJCAB計器飛行訓練を昨年4月に開始したとの報が入った。シラバスに沿った一応の訓練をシミュレーターで終えた7月、その成果を実機で試したいと帰還の意をEメールで受領。ベーシックからアプローチに至る全般を7日間でこなしたいとリクエストされた内容に、教官冥利と熱が篭った。ステップ by ステップ方式を取り入れ2ステージから構成されたシラバスを7日間に凝縮したトレーニングを終えた大原氏は「FAA Instrument Ratingも取得してみたい」が第一声であった。その後、3回の渡米を繰り返して頂いてFAA Instrument Ratingを取得。そして、更に年末8日間と年始に2週間滞在して頂いて多発限定を取得。勿論、両方の実地試験は藤井さんと同様、検査官立ち会いで受験。最も難度の高い試験をクリエートし実施するも、検査官から「Good job!!」と御墨付きの免許が2枚交付された。
「好きこそ物の上手なれ」とは言うものの、費やされた費用とコミットメントは莫大であり、総てを御自身で調達。「計器を取得し操縦操作がよりプリサイスに成ったものの、俄の付け焼刃。どうすれば、体に焼きつける事が出来るか?」と問われた事が多発も取得するに至った経緯である。其の後、日本で計器飛行証明を取得され現在事業用免許取得に邁進し、プロパイロットの世界へ飛び込む。「安全に飛ぶ為には」に端を発した計器飛行、大原氏から教習を通じて以心伝心の境地を味わせて貰った上に「成せば為る何事も」を実践する姿を見せて頂いた。日本の航空界で大きく羽ばたき、素晴らしい貢献を記される事と確信しています。

Enrollment (Instrument Rating Course): July 5, 2006
Instrument Rating: October 10, 2006
Enrollment (Multi-Engine Rating Course): December 7, 2006
Multi-Engine Rating: January 12, 2007


藤井 政之
藤井さんは大手セメント会社の当地責任者。科学技術を活かして日本で製造される製品は工業品から医薬品まであるそうで、セールス拡張に力を注ぐ傍ら新製品開発のリサーチも行う重責の合間を縫って自家用免許取得にチャレンジ。訓練は専ら週末が中心となり、当然奥様と3人のお子様達への家庭サービスをどれだけ犠牲にして頂いたかは我々の想像域を遥かに超えていた事は疑う余地も有りません。訓練中は上村さんやDr. 外木のお二人が居られた頃然り、藤井さんの世間話を楽しみにフルタイム訓練生も登校して週末のランチルームは盛り上がりました。また、だたでさえ緊張高まる実地試験に4人乗りサンダ−ナへ移行して頂いて検査官立ち会いを御了承頂き有難うございました。お陰様で、試験官に公認された初試験を実施させて頂く事が出来ました。そんな藤井さんも免許取得されて間もなく日本へ栄転御帰国。此れエアーアコードのジンクスですかね?

Enrollment: March 1, 2005
First Solo: August 30, 2005
Private Pilot Certificate: October 26, 2006


平賀 安利
平賀さんは当校二代目Webマスターを引き継いで頂き、日本窓口も兼務するコンピューターのエキスパート。 ハイテク技術が目覚しい進歩を遂げ、サンノゼ界隈がシリコンバレーと呼ばれる切っ掛けとなった80年代も後半、通っていた神戸のインターナショナルスクールは世界を縮図にした環境で磨いたバイリンガルバックグラウンドを駆使し、ソフトウェア開発やアメリカからコンピューター機器を輸入するビジネスをスタート。特にMacに関してはATP、パイロットで言うところの最高峰である。勿論、太平洋を往復する頻度も年々高まった99年5月、予てより興味を募らせていた航空機、Cー152、991で初めて操縦桿を握る。毎年当地で開かれるシンポに参加する度に時間を見つけてのフライトではログブックへの記載も年に1〜2行が目一杯。一気に前進すべく2003年7月、3週間の休暇をとって初単独飛行を敢行(当時の様子をぶっつけ本番で収録したビデオを「体験談」ページに掲載)。その後、3年間のブランクを経て2006年6月自家用コースに復帰。持ち前の長い鞘を横に振れば簡単に取得出来たパイロット免許も飽くなき探究心に担当教官は全員が総出、単独ロングクロスカントリーからの帰着は日付も変わろうかという午前12時前と夜間飛行にまで及び、実地試験も1度で足りず2度受験、等々、当校始まって以来数々のレコードを更新。 現在、御自身が体験した訓練ブランクをイメージトレーニングでカバーする手助けになればと、オリジナル教材を作成中。完成は今年末か来年か?? 御期待下さい。

Enrollment: July 10, 2003
First Solo: August 25, 2003
Private Pilot Certificate: September 21, 2006


高原 由起子
高原さんは医学ファミリーに育った看護士さん。アメリカの看護を勉強に、中でも末期治療に精通された、癒し系第一人者。苦手は機械系、車社会アメリカで初めて車にオイルを注入。空冷、4気筒、キャブレター方式、ダイレクトドライブから気圧やジャイロ計器のシステム云々は異次元へのチャレンジだった高原さんも、気象条件を考慮してパフォーマンスを語れる人に変身。訓練中では操作ミス無し、ATCミス無し、ステージ試験平均値上昇に貢献。今思い起こせば、看護で鍛えた高原さんの心の優しさと強さを持ってすれば、操縦訓練は変身ではなかったんですね。

Enrollment: April 11, 2005
First Solo: November 3, 2005
Private Pilot Certificate: September 13, 2006


茂木 幸男
茂木さんは日本の歴史的食文化を世界に広めたカンパニーのサンフランシスコ駐在員。会社の上司(島田さん、96年7月自家用免許取得)のパッセンジャーとしてサンダーナに初搭乗。「滑走路を目前にしかたかと思うと瞬く間に大空へ駆け上がった」あの時の感動を8年抱き続け、奥さんの許可と二人のお嬢さん達の応援を得て訓練を開始。操縦桿を握って向かう滑走路、抱き続けた感動とは全く裏腹、高まる緊張に鼓動も激しくなって「しまった〜やるんじゃなかった〜、でもギブアップ親父にはなりいたくな〜い」と思った、とは免許取得された時の告白。Cー152からサンダーナへの移行訓練も終えた時、島田さんに乗せて貰った時の感動が蘇った!!

Enrollment: May 14, 2005
First Solo: October 4, 2005
Private Pilot Certificate: July 23, 2006


小島 慶久
小島さんは日本を代表する大学の大学院生、博士号を目指すコンピューターサイエンティスト。実戦経験を積む為に渡米したサンノゼで研究に勤しむ傍ら、グライダー部の先輩から勧められた当校で自家用パイロット免許取得にチャレンジ。流暢な英語は研究所で鍛えられたのか、持ち前なのか、小島さんの行動力と実行力に強者パイロット達も脱帽。研究されている内容も私達にとっては奇怪な記号や暗号でしかないのを表現力豊かに解り易く語ってくれた「教え上手は習い上手」を飛行機でも実践して見せてくれました。
追伸:卒業翌日に3時間の機長フライトを敢行するやサンダーナへの移行訓練も2回で終え、御帰国される9月までのPIC総飛行時間は35時間。誰を乗せて何所まで飛んで行ってたんでしょう?

Enrollment: March 20, 2005
First Solo: July 10, 2005
Private Pilot Certificate: January 28, 2006


フレッド・シャノン
イリノイ州シカゴ生まれのフレッドさんは原子力発電の技師として活躍。1938年1月誕生、子供の頃よりお父さんがパイロットだった事もあって飛行機が身近に在ったものの、自家用免許取得は開拓者の如く西を目指しカリフォルニアで自立し余裕の出来た1971年。日本が発電機を発注した当時、技師として派遣された事も暫し。引退した昨今は悠々自適の自家用パイロットさん。そうです、フライト毎に「空席があるよ〜」と誘ってくれた、卒業生皆さんも御存知のヒゲのフレッドさんですよ。現在もボランティア活動の幅は広く、恵まれない子供達に緊急医療が受けれる様にと自家様機を駆って活躍するエンジェルフライトに登録。総飛行時間は2700時間、20年来の愛機チェロキー6と1500時間を共にした強者パイロットフレッドさん、ラスベガスからの帰途給油に寄航したフレスノ空港で突如発生した濃霧に立ち往生した1月の出来事が計器飛行証明取得に駆り立てた。当校最年長で計器飛行証明を取得され、活動範囲の広がったフレッドさん。頑張って頂いた成果を活かした今後ともの御活躍を期待する次第です。

Enrollment: February 10, 2005
Instrument Rating: December 5, 2005


池上 要
高校を卒業して直ぐに自衛隊に入隊し主に無線を使った連絡通信部へ配属。昨年は政府専用機に乗ってアラブで後方支援活動に2ヶ月を過ごし、7年間自衛官として活躍。世界に目を広げる機会を得て、子供の頃からの夢だったプロパイロットを目指しテイクオフ。実家に近い熊本航空の門をたたき、自家用取得にアメリカはカリフォルニア州にあるエアーアコードへ単身初めて乗り出す。団体生活の中で協調と調和を何より第一に重んじる氏へプライバシーを第一に尊重してくれるホームステイでの生活に戸惑い、単独飛行を目指した訓練では短期間で身につけた自分なりの考えを教官に英語で表現しなければならない現実とのギャップに、「行動を起こすのが早すぎた」と実感するが、後戻りは「恥だ」と自身に鞭を打つ。航空身体検査では英語力で跳ねられ、タイミングの悪い交信では管制官のトーンが上がる。そんな様々な訓練中での出来事が「本当に在ったの?」と思い起こしながら、搭乗者に先輩訓練生や滞在中お世話に成った方々を乗せて操縦桿を握った。
本当に良く頑張ってくれた6ヶ月、君の変化は誰にも勝る。此れから始める日本での訓練、採用されてからの訓練、乗務してからも訓練が続きますが、君の協調性を活かした調和で時々の変化に対応して行って下さい。御帰還を楽しみにしています。

Enrollment: April 20, 2005
First Solo: August 29, 2005
Private Pilot Certificate: November 5, 2005


ヨーク・ウァング
特殊部隊に所属していた当時、銃器の扱いは勿論の事保身術からパイロットでもないのにヘリコプターのオートホバー操縦のみを緊急事態に備えて習う。そんな部隊で培ったバックグラウンドを活かし、現在は国防機密を扱うアメリカ某コンピューター会社エグゼクティブを守るセキュリティースペシャリスト。自社機で国内はもとより世界中を歴訪するエグゼクティブをテロから守るのが専らの任務。24時間態勢のスケジュールも超多忙を極めるか空きが出ると1週間〜10日間はスタンバイ。スケジュールの合間を利用し、ホバーのみしか教わらなかったヘリコプターの操縦を習ってみたく私達と巡り会い、飛行機に魅せられる。会社のジェット機に比べ更に小粒ながら精悍に感じたサンダーナを訓練機に選び、「操縦の機敏さとスピードがもたらす変化への対応は他の何をするよりも楽しい」と言って夢中に成って取り組んでくれた訓練。スペシャリストが持つ第6感(保身術を使った適応力)が光って居りました。

Enrollment: July 19, 2004
First Solo: September 4, 2004
Private Pilot Certificate: August 22, 2005


長堀 正
サンノゼ駐在だった1998年6月17日にセスナ152で自家用を取得され、サンダーナチェックアウトも完了しカリフォルニア北はチコから南はロス近郊へのフライトを重ねられたものの栄転御帰国。2002年6月に当地責任者として再赴任にての御帰還。カレンシーチェックをこなし、多忙を極めた仕事から解放される週末を中心にしたフライトでクロスカントリーの長堀と呼ばれていたある日、日本からの友人を乗せてナパヘ向かったフライトは冬の到来を告げる雲に遮られ、目的地を目前にしてUターン。その悔しさが引き金と成った計器飛行証明取得。2003年1月訓練開始、仕事から解放されるはずの週末も時には日本への出張を挿んだ多忙なスケジュールの中を縫って訓練に打ち込んで頂いた成果、現役駐在員の方での計器飛行証明取得は開校以来お二人目の快挙。

Enrollment (Private Pilot Course): July 14, 1996
Private Pilot Certificate: June 17, 1998
Enrollment (Instrument Rating Course): January 12, 2003
Instrument Rating: June 5, 2005


曽根 隆
Member Since: July, 1996
Enrollment (Instrument Rating Course): December 28, 1999
Instrument Rating: May 7, 2005

土屋 隆
Enrollment: September 10, 2004
First Solo: October 21, 2004
Private Pilot Certificate: April 2, 2005

佐久間 裕二
Enrollment: September 18, 2003
First Solo: May 22, 2004
Private Pilot Certificate: April 2, 2005

江畑 克典
Enrollment: December 23, 1996
Private Pilot Certificate: January 23, 2005

リチャード・トレーナー
Instrument Rating: January 4, 2005

スティーブ・オア
Enrollment: February 12, 2004
Private Pilot Certificate: November 24, 2004

杵淵 剛志
Enrollment: September 23, 2003
Private Pilot Certificate: July 13, 2004

宮 典史
Instrument Rating: March 20, 2004
Commercial Pilot Certificate: May 27, 2004
Multi-Engine Land Rating: July 14, 2004
体験談へ

清原 泉
First Solo Flight: August 21, 2003
Private Pilot Certificate: October 17, 2003
Multi Engine Land Rating: January 5, 2004
インタビューへ

水野 善之
First Solo Flight: May 14, 2003
Private Pilot Certificate: December 26, 2003

島田 英敬
Instrument Flight Instructor Certificate: July 15, 2003
Multi-Engine Rating: December 15, 2003

キャロリン・ビセット
First Solo Flight: July 7, 2002
Private Pilot Certificate: December 19, 2003

大倉 照
Instrument Rating: October 18, 2003
Commercial Pilot and Multi-Engine Rating: December 8, 2003

◎ 2007年8月、正式にJALエクスプレスの副操縦士となり、念願のエアラインパイロットになる夢が叶った大倉さん。JEX内定までの体験を語ったインタビューはこちら

小野寺 仁志
First Solo Flight: August 31, 2002.
Private Pilot Certificate: September 7, 2003

永野 公一郎
Multi Engine Rating: July 29, 2003

宮 典史
First Solo Flight: April 29, 2003.
Private Pilot Certificate: June 27, 2003
インタビューへ

ジョン・ハワード
First Solo Flight: Long time ago, at San Jose Airport
Private Pilot Certificate: February 11, 2003

藤本 由紀子
First Solo Flight: October 19, 2001
Private Pilot Certificate: October 25, 2002
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アパルナ・ロカナサン
First Solo Flight: December 23, 2001
Private Pilot Certificate: September 30, 2002
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谷川 優子
First Solo Flight: October 19, 2000
Private Pilot Certificate: August 24, 2002

石井 隆人
Multi-Engine Land Class Rating: August 17, 2002
インタビューへ

マーク・サバリース
First Solo Flight: October 6, 2001
Private Pilot Certificate: August 14, 2002
インタビュー(英文)へ

外木 守雄
First Solo Flight: February 1, 2002
Private Pilot Certificate: June 20, 2002

クリス・アルバレズ
First Solo Flight: January 17, 2002
Private Pilot Certificate: June 15, 2002

ローレン・リチャードソン
Flight Instructor Initial Certificate: April 29, 2002

フリオ・モーリス
First Solo Flight: June 15, 2001
Private Pilot Certificate: April 13, 2002

上村 晋也
First Solo Flight: October 20, 1999
Private Pilot Certificate: June 25, 2000
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